ライブドアブログの機能のひとつ「拍手コメント機能」が2018年の1月一杯で無くなるらしい。
ひと昔まえのブログにはどこも付いていたような気がするけど、もう需要が無くなったのだろうか。
たまにもらう拍手コメントを結構楽しみにしていたので残念だ。
記事に直接コメントを書くと他の人に見られちゃうし、だからといってメールだとアドレスがばれてしまう。
その点、拍手ならこちらの素性はわからないし、それでいてブログ主と1対1のやりとりができるという。
ブログへのコメントって、第三者の目に触れる時点で少し敷居が高い。
だからといって、LINEなんかを一々送るのもちょっと恥ずかしいし、そもそも知り合いじゃなければ連絡先すら知らないしね。
アドレスも知らないのにメールが送れるこの感じは、昔は何だかすごく新鮮だった気がするんだよなあ。
今は問い合わせフォームとか何でもござれだから、何も珍しい所はないけれど。
このブログでもたまに拍手をくれる人がいた。
特に僕が辛い時は多かったかな。結構助けになったし、誰だかわからん場合の方が多いけど嬉しかった。
こちらからは返事が出来ないので、拍手を送った側は読んでるのかどうかわからんだろうけど。(読んでました)
そんな機能もついにお役御免。
SNS全盛の時代にあって、あまりにも旧時代的な産物だから仕方ないのかな。
てかよく考えたら、拍手ってパソコンから見た時しか表示されないのね。
スマホ全盛のこの時代にそんな仕様じゃそりゃ誰も使わなくなるわ。
学生はみんな名刺代わりに持っていたし、裏アカウントもたくさんあって、何だかよくわからないけど賑わっていた。今だとTwitterとかInstagramなのかな。
なんかあの何とも言えぬアングラな感じが好きだったんだけど、もうすでにサービス終了してるというね。時代と共にいろんなものが終わっていくんだね。
中学のころはキャラクターになりきる掲示板みたいなのが大流行していた。
書き込み回数によってレベルが上がっていって、謎の優越感があったりして。あんな掲示板もいまや跡形もない。
高校の頃からはチャットに入り浸るようになった。
学校の友達ともやっていたし、全然会ったこともないような人ともやっていた。いかにもネットって感じがして懐かしい。
チャットからの繋がりで、今でも会う人もいるし、もう行方知れずの人もたくさんいる。
たまに思い出すけど、向こうは多分こちらのことなんて覚えてないんだろう。人間なんてそんなもんだ。
10年後、20年後には、SNS?ブログ?なにそれおいしいの?ってなってるんだろうな。
その頃にはもう立派なおっさんだ。
なんだか年の瀬が近づいてきて、少し寂しいのかもしれない。
ふと別のブログで記事を書いている時に、たまたま拍手機能が無くなることを知って、無性に寂しく感じてしまった。
忙しさで麻痺してるときなら、「ふーん終わるんだ」で済む話なんだけど、こんな長々と記事を書くあたり、何か来るものがあるのかもね。
あと何年生きるか分からんけど、昔の知り合いとはだんだんと連絡を取らなくなっていってる。
忙しいのもあるけど、なんか遠慮みたいなのがどんどん出てきて、なかなか連絡が取れなくなる。年を取ると余計にそう思う。
時代によって拍手コメントやら前略プロフィールが無くなってくのと同じように、自分という人間も無くなっていくんだよね。
最後は死ぬだけだもの。
孤独死を恐れる年寄りの気持が今少しわかったような気がした。
最近あまり人に会っていない。一人で作業ばっかり。
辛さはないけど、ふと寂しさを覚えることはある。これは正直なところ。
年末に元の会社の同期と飲むけど、何を話して良いのやら。まあ海外転勤の送別会だからね。その話でもちきりだろう。
みんなどんどん大人になっていく。どんどん変わっていく。
時代の流れに取り残されないように頑張ろうと思うけど、まあ置いてきぼり食らったら、その時はその時だよね。
そろそろ一人作業を止めて、新しい何かへ向かっていかなければいけないのかもしれない。新しい何かへ。
ひと昔まえのブログにはどこも付いていたような気がするけど、もう需要が無くなったのだろうか。
たまにもらう拍手コメントを結構楽しみにしていたので残念だ。
拍手コメント機能の絶妙さ
拍手コメント機能って、かなり絶妙な立ち位置だと思う。記事に直接コメントを書くと他の人に見られちゃうし、だからといってメールだとアドレスがばれてしまう。
その点、拍手ならこちらの素性はわからないし、それでいてブログ主と1対1のやりとりができるという。
ブログへのコメントって、第三者の目に触れる時点で少し敷居が高い。
だからといって、LINEなんかを一々送るのもちょっと恥ずかしいし、そもそも知り合いじゃなければ連絡先すら知らないしね。
アドレスも知らないのにメールが送れるこの感じは、昔は何だかすごく新鮮だった気がするんだよなあ。
今は問い合わせフォームとか何でもござれだから、何も珍しい所はないけれど。
このブログでもたまに拍手をくれる人がいた。
特に僕が辛い時は多かったかな。結構助けになったし、誰だかわからん場合の方が多いけど嬉しかった。
こちらからは返事が出来ないので、拍手を送った側は読んでるのかどうかわからんだろうけど。(読んでました)
そんな機能もついにお役御免。
SNS全盛の時代にあって、あまりにも旧時代的な産物だから仕方ないのかな。
てかよく考えたら、拍手ってパソコンから見た時しか表示されないのね。
スマホ全盛のこの時代にそんな仕様じゃそりゃ誰も使わなくなるわ。
時代と共に廃れていくもの
昔、前略プロフィールっていうのがあった。学生はみんな名刺代わりに持っていたし、裏アカウントもたくさんあって、何だかよくわからないけど賑わっていた。今だとTwitterとかInstagramなのかな。
なんかあの何とも言えぬアングラな感じが好きだったんだけど、もうすでにサービス終了してるというね。時代と共にいろんなものが終わっていくんだね。
中学のころはキャラクターになりきる掲示板みたいなのが大流行していた。
書き込み回数によってレベルが上がっていって、謎の優越感があったりして。あんな掲示板もいまや跡形もない。
高校の頃からはチャットに入り浸るようになった。
学校の友達ともやっていたし、全然会ったこともないような人ともやっていた。いかにもネットって感じがして懐かしい。
チャットからの繋がりで、今でも会う人もいるし、もう行方知れずの人もたくさんいる。
たまに思い出すけど、向こうは多分こちらのことなんて覚えてないんだろう。人間なんてそんなもんだ。
将来と今について
こうやって、どんどん今が過去になっていく。10年後、20年後には、SNS?ブログ?なにそれおいしいの?ってなってるんだろうな。
その頃にはもう立派なおっさんだ。
なんだか年の瀬が近づいてきて、少し寂しいのかもしれない。
ふと別のブログで記事を書いている時に、たまたま拍手機能が無くなることを知って、無性に寂しく感じてしまった。
忙しさで麻痺してるときなら、「ふーん終わるんだ」で済む話なんだけど、こんな長々と記事を書くあたり、何か来るものがあるのかもね。
あと何年生きるか分からんけど、昔の知り合いとはだんだんと連絡を取らなくなっていってる。
忙しいのもあるけど、なんか遠慮みたいなのがどんどん出てきて、なかなか連絡が取れなくなる。年を取ると余計にそう思う。
時代によって拍手コメントやら前略プロフィールが無くなってくのと同じように、自分という人間も無くなっていくんだよね。
最後は死ぬだけだもの。
孤独死を恐れる年寄りの気持が今少しわかったような気がした。
最近あまり人に会っていない。一人で作業ばっかり。
辛さはないけど、ふと寂しさを覚えることはある。これは正直なところ。
年末に元の会社の同期と飲むけど、何を話して良いのやら。まあ海外転勤の送別会だからね。その話でもちきりだろう。
みんなどんどん大人になっていく。どんどん変わっていく。
時代の流れに取り残されないように頑張ろうと思うけど、まあ置いてきぼり食らったら、その時はその時だよね。
そろそろ一人作業を止めて、新しい何かへ向かっていかなければいけないのかもしれない。新しい何かへ。
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